発達障害の子との毎日

発達障害の子供との日常を綴っています。真面目な話あり、くだらない話ありです。

身体のハンデ、内面のハンデ。違いはあるけれど。

今日で1月も終わりですね。年末だお正月だと言っていたのにもう1か月が経過。早いものです。2月は幼稚園で生活発表会があります。最後の発表会はどんな事をするのかな。楽しみにしているmamemuchiです、こんにちは。

 

シュウは発達障害。身体ではなく内面にハンデを持っています。しかしシュウとは逆に、内面にハンデは無いが身体面で障害がある方もいますよね。どちらも大変な事に変わりは無いのですが、それぞれどういう部分が最もしんどいのでしょうね?

私は身体面でも内面でも、一般的に障害と呼ばれるような症状はありません。ですから、「内面にハンデを持つ子の親」という目線でお話ししたいと思います。

シュウが産まれて6年以上の月日が流れました。シュウとの生活の中で最も私がキツかったのは、「シュウが周囲に積極的に迷惑をかけてしまう事」でした。・・・いや、もちろんシュウは「周りの人を困らせてやろう。」なんて思っているわけではないですよ?これ、どういう事かと言いますとね・・・。

例えば身体障害者の場合、結果的に周囲に迷惑をかけてしまう事はあると思うんですよ。あ、「迷惑」という表現は適切ではないかもしれませんね。あの~、何て言えばいいんですかね・・・。

身体が不自由だと、段差で車椅子を押してもらう・お風呂や食事の際に人の手を借りる・生命維持の為に医療的措置を受ける・・・みたいな、他者の力を借りる事ってあるじゃないですか。でもそれって、当然の事です。自分の努力ではどうにもならない事なのですから。人間はお互いに助け合わないと生きていけません。

それにこういう場合、助けてもらった側は、助けてくれた人に「ありがとう。」って言いますよね。それで、助けた側は「良い事できて良かったな。」って思う。お互いに気分が良くなります。まぁ中には、「やってもらって当たり前」みたいな思い上がった人間もいるかもしれませんが・・・ここではそういう人はとりあえず除外しておきます。

そんなふうに、身体が不自由な人は、自分で出来ない事が起きた場合に助けてもらいます。それ以外の部分で周囲の負担になる事は少ないと思います。知能に遅れが無い場合、やってはいけない事はわかっていますからね。つまり、常識人なのです。

 

対して発達障害精神遅滞等、内面にハンデを持つ場合はどうか。これがねぇ・・・いきなり予測不能な不可思議な言動をして、周囲を驚かせたり、怖がらせたり、嫌な思いをさせちゃったりするんですよね。社会常識みたいなものが理解できていなかったり、相手の気持ちがわからなかったり、してはいけない事がわからなかったり、いけない事は分かっているけれど何らかの理由で我慢が難しかったり・・・等が主な理由でしょうか。

もちろんね、何度も言いますが本人に悪意は無いんですよ。様々な要因が複雑に絡んだ結果、ちょっと困った言動に繋がってしまうだけなのです。

しかし本人に悪意はなくても、相手は困る訳で。シュウが泣き喚いて場の空気を乱したり、相手にぶつかったり押したりした場合でも謝れなかったり、相手を気遣う行動ができなかったり・・・。そんな時、私はこう思う事がありました。

 

「あぁ・・・シュウは周りに迷惑をかけてばっかり。内面に遅れはあっても身体面は問題無しだからなぁ。もしもシュウが身体障害児で、こんなふうに自由に動き回るなんて出来なかったら。大人しくしていて無害な存在でいてくれたら。そうすれば、相手に嫌な顔されずに済んだし、嫌みを言われずに済んだし、私も肩身の狭い思いをしなくて済んだかもなぁ・・・。

 

これが私の言う「積極的に周囲に迷惑をかけてしまう」という事です。はい、完全に無い物ねだりです。

身体障害児をお持ちの人はもしかしたら、内面にハンデを持っている子やその親に対して、次の様に思うかもしれません。

 

「多少知的な遅れがあっても、自由に動けていいなぁ。夜中に何回も起きて、寝返りをうたせてあげなくていいんだなぁ。多少手はかかっても、命の危険があるような病気ではないんだよなぁ。長く生きられるんだよなぁ。抱きかかえて移動させてあげなくても、自分で歩けるんだよなぁ。身体介助、疲れるよ・・・。」

 

どうでしょうか、全くの見当違いですかね?私は「シュウはいろいろ大変な部分があるけれど、生命に関わる病気ではないし、ある程度の事は自分でやれるからなぁ。そのへんはありがたいな。」と思っているので、↑のように予想しました。

ここまで読んで、不快に思った方がいたとしたら。本当に申し訳ありません。私が言いたいのは、「みんな大変。それは他者と比べられるような事ではない。どっちが上とか下とか、優劣をつけられるような事ではない。ただ、無いものを嘆くよりも、あるものに感謝して生きていった方がハッピーだよね。」って事なのです。差別や見下しの意思はありません。

もっともっと、多様性が尊重されるような世界になればいいなぁ~・・・と思い、今回はこんなお話になりました。

それではまた。