発達障害の子との毎日

発達障害の子供との日常を綴っています。真面目な話あり、くだらない話ありです。

支援学級、養護学校に通う意義。

今日は幼稚園で豆まきがあるようです。シュウも段々と行事を楽しめる様になってきているので、明日は家でも豆まきしようかな?一応落花生は買ってきてあります。小さい豆だと回収が面倒なんですよね~。その点、落花生なら発見しやすいし、回収後はそのまま殻剥いて食べる事が出来ます。こんにちは、mamemuchiです。

 

4月から子供が進学進級するご家庭では、すでに進学先・進級先は決定済みな時期ですね。発達障害がある場合、就学先の選択肢としては通常学級の他に支援学級・養護学校もありますよね。

これに関して、ネット上では次のような意見を目にする事がよくあります。

「今はちょっと他と違う部分があると、すぐに障害扱いして隔離する。昔も発達障害っぽい子がいたけれど、通常学級で一緒に生活してた。」

 

自分の子供時代を思い返してみると、確かにいましたね。当時は「変わった子だなぁ。」としか思いませんでしたが。そういう子たちは、明確にいじめられたりはしませんでしたが、やっぱり「変わり者扱い」でした。ハッキリ言って、周囲から浮いた存在でした。

発達障害を持つ人がどんどん増えていると聞きますが、昔からある程度はいたんですよね。当時はそれと診断されてなかっただけで。

 

障害認定して、別のクラスで適切な対応をする事。それって私は悪い事じゃないと思っています。確かに昔はそういう子もみんな同じクラスで過ごしていました。けれども、本人は快適だったのでしょうか?少なからず苦痛や孤独を感じていたのではないか、私は思うのです。

発達障害って、昔は存在自体あまり知られていなかったですよね。ただ単に、本人の気持ちの問題だとか、内気なだけだとか。ワガママなだけとか、躾の問題だとか。そういう風に思われていたんですよね。

それだと、当事者はものすごくしんどかったと思います。どう頑張っても上手くいかない事がある、サボってるわけじゃないのに勉強についていけない、クラスメイトと馴染めない・・・等々。

本人の責任ではないのに、自分で自分を責めていたかもしれません。

 

障害のある人と無い人。形式上一緒に生活する事が重要なわけではない、私は思っています。必要以上に苦しむ事なく、理解し合い、幸せに生きる事が重要だと思います。それが無く、ただただ苦しみを抱えながら、通常クラスで我慢して生活するなんて悲しすぎます。

「昔はみんな一緒だった」からこそ、苦痛を感じる場面があったのだとすれば・・・現在の「必要に応じてクラスを分ける」風潮はマイナスばかりではないと思います。

 

自分の子供の頃に同じクラスだったあの子も。もしも当時、大人から何らかの適切な説明を受けていれば・・・私たちクラスメイトの接し方も違ったものになっていたかもしれません。もっと積極的に関わってみようと思えたかもしれません。

 

「本来なら、知的障害がある場合以外は同じクラスで生活するのが望ましい。現在それが叶わないのは、制度や学校側の設備が整っていなかったり、指導する側のスキルが追いついていないから。」

・・・という話を私は知人から聞いた事があります。その知人が、児童発達の専門家から聞いた話との事でした。

 

「知的障害がある場合は、指導の仕方を工夫しても習得できる項目にはどうしても限界がある。だから、各自のペースに合わせて指導した方がメリットが多い。」

「知的な遅れが無い場合は、やり方次第で健常児と一緒の生活は可能。だったらやってみた方が良い。」

・・・というような事なのでしょうかね。

 

その専門家の言う通り、理想はみんな同じ空間で生活する事なのでしょうね。しかし現状それは難しい。設備を整えるにもお金がかかります。制度を変えるのだってすぐにはできません。そして「先生」という職業は、今の時点で相当にハードです。障害児教育のスキルをアップさせようにもそう簡単にはいかないでしょう。

ですからそんな現状では、やっぱり「支援学級」「養護学校」というのは必要だと思います。理解不足のまま共生しようとして、お互いに嫌な思いをするよりはずっとずっと良いです。もちろん完全に分け隔ててしまう事には反対です。それでは永久に理解なんてできないままですから。必要に応じて交流して、理解を深めていく事が望ましいのではないでしょうか。

 

シュウは4月から支援学級に通います。通常クラスと一緒に学ぶ時間もあるそうです。慣れないうちは、周囲の子供たちもシュウとの接し方に困るかもしれません。でも、少しずつシュウの特性や良い所を知ってもらえたらいいなと思っています。そしてシュウも、周囲の子供たちからいろいろな事を吸収していってほしいです。

 

それでは今回はこのへんで。